マドゥーラコラム:こんな人にはかなわない コピーライター 大坪 徹 vol.5 身代わりになってくれた人

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僕は芦別の東黄金という炭鉱の町で生まれた。炭坑に斜陽化の気配を感じた父は「ここに未来はない」と、周囲の反対を押し切って滝川に移り住んだ。僕が小学一年のときだ。東黄金にはまだ父方の親戚がいたので、引っ越してからもバスでよく遊びに行っていた。しかし、その親戚もやがて炭坑を見切ってその地を離れてからは、長く訪ねることはなかった。

昨年、芦別スターライトホテルでちょっとした集まりがあり、車の道順を地図で調べていたら東黄金が思いのほか近いことがわかった。今どんな様子になっているのか、途中、寄って見る気になった。道道4号旭川芦別線の二股で右折する。あの頃、覚えたての自転車で一人でここまでやって来て、後から母にこっぴどく叱られたことを思い出す。数分車を走らせると、見覚えのある形の山が見えてきた。捨石(ボタ)の集積場、ずり山だ。あの真っ黒く鋭い稜線を描いていた山はすでに緑色に変わり、ちょっと丸みを帯びている。

生まれ育った家があった場所に行ってみる。住んでいた炭住(炭坑住宅)など当然、残っているはずもないが、記憶を引き寄せる風景がそこにあった。大好きだったナオミちゃんの家はここら辺りで、あっちにヤギを飼っていた村上さんちがあってと、瞼の裏に残る古い写真アルバムをめくっていった。そのとき僕の脳裏に、みんなにトシ坊と呼ばれていた、少年の顔が浮かんだ。「トシ坊...」とつぶやいたら、急に鼻の奥がツーンとなり、涙があふれた。

その頃、北海道の炭坑はまだ貧しかった。一般的な家庭には電話もなく、もちろん車もなかった。わが家にテレビがやってきたのは、僕が四歳の時だ。栄養のバランスが悪かったのだろう。中には青っぱなを垂らし、服の袖をガビガビにしていた子もいた。トシ坊もそんな子どもの一人だった。僕より四、五歳年上だったと思う。母親と、歳の離れた長男との三人暮らし。父親はいなかった。近所の子とケンカばかりして(強かった!)、いわゆる除け者扱いをされていた。なぜか僕はトシ坊になついていて、金魚の糞のように後を追いかけていた。トシ坊もそんな僕をかわいがってくれたが、お菓子を持っていかないと不機嫌になり、かまってくれない。それで僕はいつも母の隙を伺いながら自分のおやつをポケットに隠し持って、トシ坊の家に遊びに行くのだ。

トシ坊の家は日中誰もいない。もうやりたい放題である。トランプゲームや花札、チンチロリン...おかげで?僕は小学校に上がる前から博徒であった。外ではチャンバラの手ほどきを受け、2B弾という爆竹と銀玉鉄砲で戦争ごっこをやり、日が暮れるまでいっしょに遊んでいた。そんな日々の中で、あの事件が起きた。

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暑い夏の昼下がりだったと思う。僕たちは水の入ったバケツを外に出して、水鉄砲で遊んでいた。トシ坊が刑事で僕が強盗である。いつも僕が悪役だった。トシ坊は僕を何十回も逮捕して、さすがに飽きたのか、水の入ったバケツを振り回しはじめた。体ごと回転させて横にぐるんぐるん、次は腕だけで縦にぐるんぐるん。そして、僕にバケツの中を見せながら自慢げに言うのである。「どうだ、凄いだろ。水、こぼしてないだろ。凄いだろ」。僕は凄いと思った。どうしてバケツを逆さまにしているのに水がこぼれないんだろう?不思議だった。「オマエもやれ!」とトシ坊が言った。僕は恐る恐るゆっくりと横にまわした。水はこぼれない。よし、今度は縦だ。それまでより、勢いよく振り回してみた。

すると、手からバケツの取っ手がスルリと抜け、バケツは大きな弧を描いて飛んで行き、近所の家の窓を突き破った。「ガッシャーン!」。逃げろ!トシ坊の声と重なるように「誰だ!そこにいろ!」という図太い家主の声がした。何てことだろう。そこはHさんの家だった。Hさんは先山(石炭掘りの棟梁)として大人から一目置かれ、子どもたちからは恐れられていた。バケツを持ったHさんが玄関から出てきて言った。「誰がやった」。僕は足が震えた。顔も上げられない。そのとき、トシ坊の声が聞こえた。「俺だ」。

トシ坊は頭にバケツをかぶせられ、Hさんの家の中へと連れて行かれた。すぐに泣きながら謝るトシ坊の声が聞こえてきた。その声がだんだん絶叫に変わっていく。僕はただただ恐ろしくて、涙があふれ出る。どれくらいの時間が経っただろう。とてつもなく長く感じた。泣きながらトシ坊が玄関から出てきた。トシ坊が走り出す。その後を僕が追う。二人で泣きながら走った。田んぼを抜け、橋を渡り、へとへとになるまで走った。

それから半年後、トシ坊は何も言わずに家族と東黄金からいなくなった。

芦別スターライトホテルからの帰り、僕は滝川の実家に寄った。母に東黄金に行ったこと、トシ坊を思い出したことを話した。すると母は「アンタはトシ坊に遊んでもらいたくて、いつもお菓子を隠して持って行ってたしょ」と言った。バレバレだったのだ。母はこう続けた。「徹は俺の子分だって、いつも言ってたよ」。僕はトシ坊からそんな言葉を聞いた覚えはなかった。そうか、僕は子分だったんだ。あのとき、親分は自分の体を張って、子分の身代わりになってくれたのだ。トシ坊に会いたいと思った。そして、あのときのお礼を言いたい。急に鼻の奥がツーンとしてきた。

プロフィール

1956年生まれ、滝川市出身、札幌市在住。大坪徹事務所・主宰

コピーライターとして東京の広告代理店、広告制作会社などに15年間在籍。日本航空、東京ディズニーランド、NTT、富士ゼロックス、三菱電機などの広告制作に携わる。その後、札幌にて広告代理店に勤務。1997年、壱風堂を設立。カルビー「じゃがポックル」、劇団四季「ライオンキング」、NEXCO東日本の他、国内有数の不動産およびマンションデベロッパーのプロジェクト多数に携わる。

主な受賞歴

  • ・毎日広告デザイン賞 部門賞
  • ・消費者のためになった広告コンクール 最優秀賞
  • ・日本雑誌広告賞単色刷広告 銀賞
  • ・札幌コピーライターズクラブ SCC最高賞
  • ・札幌コピーライターズクラブ 眞木準コピー賞
  • ・日経ウィークリー広告賞 優秀賞  など
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